勝利 崇峻天皇御書

2024年06月09日

うーん。

崇峻天皇御書について書こうと思ったんですけどね。

「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候」から話を広げたかったんですが。

崇峻天皇御書で検索すると創価学会がでてきて。

勝利、ですよ。

創価学会の勝利好きは異常ですが。

どういう意味か調べてみた

単純に勝ち負けの勝ちらしいです。

がっかり。

創価学会幹部(池田大作氏)は同会員を馬鹿だと思ってたんじゃないかしら。

難しいこと言っても彼らにはわからないからなあ。

ハッハッハー。

創価学会の「勝利」を見るたびに、そんな思いがよぎります。

臨終は勝利か。

健康は勝利か。

病気は負けか。

貧乏は負けか。

崇峻天皇御書の最後はこうです。

「されば王位の身なれども、思ふ事をばたやすく申さぬぞ。孔子と申せし賢人はこゝのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給ふな。仏法と申すは是れにて候ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。

建治三年[丁丑]九月十一日 日 蓮 花押

四條左衛門尉殿 御返事」

「人を敬う」に勝利はあるのか。

勝利勝利と口にする人は賢人か。

人の振る舞いとして勝利を口にするのはアリやナシや。

崇峻天皇御書といえば「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよ(吉)よかりけりよかりけりと、鎌倉の人々の口にうたはれ給へ。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし」ですが。

心の財を積んでる人が勝利なんて口にするはずがないと思う。


2024年度1月度 崇峻天皇御書

【連載】創価学会あるあるフレーズ

身延山御書

生活の中の仏教用語


追記
宗祖日蓮が手本にした不軽菩薩。 
不軽菩薩は勝利勝利と触れ回ったり、勝利しようと呼びかけたりはしないだろう。
体験発表もやらないと思う。
当たり前、常識と思っていることは一人合点かも。
自分の生き方を疑ってみてはどうでしょう。
不軽菩薩と比べてみたらよくわかる。
まあ、考えないのは楽だけどね。
人間は考える葦でしょ。
考える人でありたい。

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう